2. 明治維新、そして現在の南千住の成立へ
廃藩置県では豊島郡であった荒川区域は東京府に、足立郡であった足立区域は小菅県になりました。千住宿は小菅県になったのですが、千住南組も千住宿だということで一時、小菅県に編入されたのですが、同年中に東京府、小菅県、品川県と合併して新しい東京府となり、東京府北豊島郡千住南組となりました。
明治22年には千住南組の大部分(一部は三河島村へ),地方橋場町の大部分、三ノ輪村の大部分、下谷区通新町と、下谷区三ノ輪町の飛び地、下谷区(千束)町の一部、三河島村の一部が合併して南千住町になりました。従来の町村の境界を無視した合併で南千住町は生まれました。これが今の南千住の大まかな形となっています。南千住と一口に言ってもいろいろな町が統合されてできたものです。
(この記事は新サイトに移行しました。続きはこちら)
読者コメント