その蕎麦屋は荒川スポーツセンター近く、マツモトキヨシの裏手あたりにある。店の名前は「いし井」。
店の外にある壁メニューには「にくまんうどん」と確かに書かれている。それが、ここに来た目的だ。
ガラリと引き戸を開けるとカウンターが目の前にあり、左手にはテーブル席が並ぶが私はカウンター好きなので迷わずカウンターを選ぶ。 店は狭いが綺麗だ。カウンターもこざっぱりしている。
「にくまんうどんってありますか?」と聞いてみると、親父さんは「あるよ」と少しニヤリとする。お、そこ来たか、という感じだ。
やがて運ばれてきた「にくまんうどん」は、「食べログ」に載っていた写真を見たことのある私には若干見覚えがある姿だが、もっと艶がある。うどんはしっかりとした黒い醤油出汁。そこにあの「にくまん」らしきものが2枚乗っている。
初めて見るにくまん。しかし正直この段階ではまだ自分は油揚げのようなものを想像しており、あまり期待していなかった。その考えはいい意味で裏切られる。
「にくまん」を箸で取り、口に入れてみる。「おぉ!これは油揚げじゃない!!ウマい!」瞬間で違いが分かる。
なるほどこれは「肉」まんという呼び名にふさわしいと思わせる、油揚げやさつま揚げとはまったく違う噛みごたえ。それが甘いタレで煮られることでジューシーさが爆増し、抜群の食感だ。
店主が「うまいだろ?」とニヤリとする。「うまいですね、、」完全にこちらの期待を上回った。
「ちょっとさ、わさび付けてみてよ。全然違うから。」
たしかにそのお盆の上にはわさびの小皿が鎮座している。どう食べるのかと思っていたが、言われるままに、「にくまん」にわさびを乗せて食べてみる。
「おぉぉぉ、、うまい、、これは更にイケる!」
大袈裟ではなく、それぐらい期待を超えた。爆ウマである。
「品があるでしょ?」と店主がまたまたしてやったりという表情でニヤリとする。
店主の石井康嗣さんに、にくまんの由来などを聞いてみた。
「ここしか知らないの(笑)」
- ここの土地で生まれたんですか?
生まれは昭和20年。 母親の母方の田舎で9月に生まれて、その年の12月にここに来たの。だからここしか知らないの(笑)。
小学校は地元の瑞光小学校なんだけど、明治生まれの父親も瑞光小学校だし、その長男の昭和3年生まれも瑞光小学校だし、昭和50年生まれのうちの息子も瑞光小学校だし、、、だからずっと瑞光小学校。
蕎麦屋の前は居酒屋。居酒屋の前は兄貴が始めたコピー屋。ここにゼロックスおいてコピーやってたのよ。でもCADとか出てきたんでコピー屋も商売にならなくなってね、それで居酒屋やったりもしたんだけど、修行もしないで店開いちゃったら体がもたなかったりした。 蕎麦はずっと趣味でやってたんだけど、女房に好きなことやれば、って言われて、それで3年前に蕎麦屋をやり始めたんだ。
「僕自身がにくまんのファンだったのよ」
- にくまんをやりだしたきっかけは?
3年ぐらい前にこのお店始めたんだけど、僕自身がにくまんのファンだったから、ジョイフル三ノ輪にあった元祖の神崎屋さんに、にくまんを買いに行ってたの。それでうどんに入れたり蕎麦に入れたりね。つまみにして出してたのよ。
揚げる前のにくまん。いし井だけが引き継ぐ神崎屋直伝のにくまんだ。
そしたらそこの親父が急に具合が悪くなっちゃって、継ぐ人もいなかったの。で、その親父さんの妹さんが俺の姉ちゃんの同級生だってのもあってさ、俺がほんとに小さいころから知ってるのよ。だから、親父に自己紹介してね、「にくまんを覚えたいんです」って。継ぐ人もいないし、このままじゃ南千住ににくまんなくなっちゃうから覚えたいんだ、って言ったの。
そしたら「にくまんじゃ食ってけないぞ」ってから、「いや、食ってけないかどうかじゃなくて覚えたいんだ」って。無くしたくないんだ、大ファンなんだから、って言ったの。そしたら「いいよ」って言ってくれてさ、それで休みの日とかも含めて2年ぐらいずっと通って教わったわけ。
「子どもが『にくまんちょうだい』って言ってきたみたいなんだ」
- にくまんのルーツを教えてください。
行って教わってみるとさ、”にくまん”って名前自体が、子どもがあだなつけたものみたいなんだね。
最初はお店ではフライとして売ってたみたいなんだけど、子どもが「にくまんちょうだい」って言ってきたみたいなんだ。 それで店の人もわからないもんだから、キョトンってしてたら子どもが「これ」って言ってフライを指さしたらしいんだ。ってことは、多分ね、限られた地域だけで子どもが「にくまん」って言ってたのよ。それが広がって三ノ輪とかでも「にくまん」って言うようになったみたいだね。
時代的背景でさ、トンカツなんか食べられないからね。当時はカツってなると、例えばクジラの肉をカツにして「合わせカツ」なんて言って売ってた。
で、当時は縁日で「文化フライ」ってのがあって、うどん粉をたいらにしてパン粉付けて揚げてんだけどね。神崎屋さんがそれをヒントにして自分のところの生地でおんなじものを作ってやろう、って思って作ったらしいのよ。それで出来上がったのが”フライ”で、おでん屋さんで売ってた。それを子どもが食べたら、食感が肉みたいで、形が円いもんだから勝手に”にくまん”って呼び始めたのかな、って想像してるわけ。
揚げることで「にくまん」になる。
子どもは素直に思ったんだよ、きっとね。あんまり肉も食ったことないでしょ。それで、おでん屋のタネが肉だと思ったんだと思うよ。かといってハムカツとは違うしね。
神崎屋さんはいくつかのおでんだね屋さんに作り方を紹介したらしい。だからポツポツと作ってるお店があったと思うけど、そんなにたくさんのお店で作ってたわけではなかったんじゃないかな。
「やってみたらね、手間もかかる」
- にくまんを実際に作ってみたらどうでしたか?
習いにいったらさ、さつま揚げの生地なのになんであんなに固くなるのかな、ってのが分かってきた。日本食やる板前さんの技が2個入ってんのよ。
1つは生地を作るときにさ、指の中からキュキュってな具合いに、つみれとか海老しんじょを作るみたいに生地玉を出してくる。その技が一つ。
それから、やわらかい生地を平にするテクニック。手に粉つけてさ、ポンポンって手でたたいて広げる。
だからさ、手間かかるんだけどね、親父さんに言わせると「手が勝手に動くんだ」ってなるわけ。手が勝手に動いて出来るものにお金は取れないって言うのよ(笑)。昔は3枚100円で売ってたからね。
材料がスケトウダラとホッケね。それを合わせてね。
今はさ、材料を水で薄めて片栗で硬さを出して味の素入れて、、なんてものが多いわけだけど、そういうことをやらないで生地だけで味を出してるのよ。それを、初代が言ったとおり手で一個一個作ってる。今は材料もクエでやってる。さつま揚げの生地ってのは空気が入ってるわけ。だから手で空気を抜く。これをやることで肉みたいな食感がでるわけ。
一つ一つ手作りで作られる。
やってみたらね、正直手間もかかるしこれだけで一品料理(笑)。おでんの種で30円で売るようなもんじゃないわけ(笑)。
「今日はにくまん何枚?ってよく聞いたね」
- 小さい頃からにくまんは普通だったんですか?
俺は子どものことからにくまん食べてたよね、おでんでね。
だからおでんの日には母ちゃんに「今日にくまん何枚?」ってよく聞いたね。姉ちゃんと取り分けするわけ。今日は2枚食べていいのか3枚食べていいのか?ってね。姉弟喧嘩になるからさ(笑)。
やっぱり、にくまんが入ってないとおでんじゃない、ってな感じだったよ。
女房は熊野前の出身なんだけど、実家ににくまんを持っていったんだよね。おでんやるってんでさ。
そしたらそれからは実家のほうでおでんやるたんびに、都電に乗って神崎屋さんまでにくまん買いに来てたよ。
もう向こうの孫も、おでんにはにくまんが入ってないと気が済まない、ってな感じになったみたいよ(笑)。熊野前からわざわざね、大変だよ(笑)。
俺が神崎屋さんに習いに行ってたときも、この近くのガソリンスタンドの娘さんでどこかに嫁いでいらっしゃっる方がいたんだけど、よく神崎屋までにくまんを買いに来るもんだから、聞いたのね。そしたら、やっぱり家でおでんやるときには「にくまんほしい」って旦那さんに言われるようになったみたいでね。
そうやってつながった先にも伝わっていったんだろうね。
- おでんに入れたにくまんはふやけたりしないんですか?
あれは焼き肉と一緒で、焼き肉も好きな焼き具合いってのがあるじゃない?それと同じよ。にくまんもいい具合いで煮てから取るわけ。
熱いところに入れて、暖かくなってきたらもう食べれるから、後は好きなタイミングで取ればいいんだけどね。
俺の小さいときなんかは、柔らかく煮たのが好きなおねえちゃんが待ってるのを、俺が横から取っちゃう、みたいなこともあったね(笑)。
「わさびでも辛子でもソースでも食える」
- こちらではうどんに載せてますよね。
うどんに入れるってのはオリジナルですよ。たぬきそばをよく食べに来てくれる人が「にくまん入れて」って言うの。にくまん2個入れてくれるわけ。
だんだん自信持ってきちゃうよね~、我が故郷のものがね(笑)。
元々俺は蕎麦やうどんに入れようって、最初から思ってはいた。俺はにくまんのことを評価してたからね。
うどんに載せる前に、にくまんを煮る
最近気づいたんだけどさ、わさびでも辛子でもソースでも食える、なんて食べ物はなかなかないよ。
キャベツ乗っけてソース掛けるだけでもウマいんだから。パンに挟んだらもっとウマいんだから。
おでんだったらね、辛子、ってなるわけだけど、わさびだったらね、日本酒でも合うんだから。相手が魚だからさ、当然っちゃ当然なんだけどね。ソース掛けてウマいのもね、揚げ物だから当然なんだけど。そういう食品ってないからさ。
「あいつ面白いよ、って言ってくれてたみたい」
- いし井さんがにくまんを継いで良かったですね
でもさ、親父さんもよく教えてくれたね。自分がやってきたものを。
知ってる人間だから教えてくれるって言ってくれたけどさ。俺がアイスクリーム製造機とか型を作るための木枠とか、これなら簡単につくれるんじゃないかなって道具を持っていったら機嫌悪くなっちゃってね。職人さんだからさ。口聞いてくれないんだから(笑)。
でもね、僕も知らなかったけどね、家で妹さんに「おもしろいやつが来てるよ、お前の友達の弟だ。あいつ面白いよ」って言ってくれてたみたい。嬉しいよね(笑)。
南千住の一部地域だけに伝わる「にくまん」。その元祖神崎屋から唯一受け継いだ味、食感。ぜひお試しを。持ち帰りもできますよ。
<店舗情報>
- 店名:そば処「いし井」
- 住所:荒川区南千住6-28-5
- 電話:03-3891-0536
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